月別アーカイブ: 4月 2011
『沈む日本を愛せますか?』
雑誌『SIGHT』で連載されていた高橋源一郎と内田樹との政治に関する対談を書籍化した本書。政治のことを話題にしながらも、話の矛先はあっちらこっちら向って行って、でも雑談をしているようでいて本質的な部分では政治に繋がっているんですよ、というのが彼らの言い分。本書に限らず、この二人はこういう発言を頻繁にしてお茶を濁すようなところがあるけれど、そういうところはちょっとズルいと感じますね。「本質的に繋がっている」というのは、そりゃそうだろう、と。 とは言っても、政治上の些末なことを取り上げてグダグダと矮小な飲み屋話を展開するよりは、起きている問題の核心を突くようなアプローチをする二人のやり口を聞いているのはやはり知的刺激に満ちた体験です。実際、本書で取り上げられている政治的イシューはもう1年も前のものなのですが、話されている内容が日本の抱えている宿命的病いを捉えているがために、今日的にも読む価値のあるものになっています。 例えば、「日本は先頭を走っていくタイプの国家ではなく、アメリカに適度な距離を保って追随していけばいい」というような趣旨の話が展開されていますが、確かにそうだよなぁと思わされることが多いです。自民党から政権を奪った民主党が効果的にリーダーシップを発揮できていないのも、長年野党として「あるモデルを批判すること」にだけ注力するというやり方でその一貫性を保ってきたがために、いざリーダー的立場となって先頭を走るとなると、右手と右足が同時に出てしまうような事態に陥ってしまう。 他にも面白いと思った二人の指摘は、「日本の政治には理念がない」ということです。西欧諸国は建国に密接に関わる理念があって、それに基づいてその時々に発生した問題に対応していく。ですが、日本はその時々の問題にその時々の対応の仕方をする。その対応の仕方は極めて日本的で、それはもう治癒することもない集合的病いであるから、その病いを自覚してうまいことやっていこうと二人は主張します。 他にもアッと言わせる独特の視点を持ち出して問題を分析してくれる二人の切り口を楽しむことができます。本書は政治に関する本でありながら、極端に政治的な話題に傾くことがないので、誰でも読むことができると思います。ぜひ手に取って読んでみてください!
【よもやま話】素敵な本棚たち
僕はかねてから「本をインテリアとして利用せよ!」と声をやや大きめで主張してきました。内田樹も何かの本で「本棚にはその人が”自分はこう思われたい”という思いが表れる」という趣旨の発言をしていましたが、僕もこれと全くの同意見で「本棚にはその人の個性が表れる」という説には緩やかな反対の態度をとっています。この二つは全然違いますからよく吟味して意味を噛み締めてみてください。 さて、僕は本棚の中身ばかりのことをこれまで考えてきたのですが、本棚そのものに注目することを忘れていました。しかし、オシャレな本棚を作る動画を見つけて、本の中身のラインナップばかりに気を取られるだけでなく、本棚という設備そのものをいかにオシャレなものにするか、ということを考えなくてはいけないと思い知らされました。ちなみに、僕が見た「オシャレな本棚」の動画はこちらです。 どうですか?こんな本棚が部屋の壁にあったら素敵だと思いませんか? 「本棚」というにはちょっと重量制限が厳しすぎて置ける冊数が少ないのですが、その不便さを差し引いてもこのオシャレ感はたまらないですよね! 他にも、下記のサイトでは数々のオシャレ且つ実用的な本棚が紹介されています。充実した読書ライフをエンジョイするために、ちょっと覗いて自分の部屋の本棚をカスタマイズされてみてはいかがでしょうか? ⇒素敵な本棚たち http://www.gizmodo.jp/2009/04/post_5382.html
穂村弘『現実入門』
今最も注目を集めている詩人と言えば穂村弘でしょう。その処女詩集『シンジケート』に対して、高橋源一郎が「俵万智の『サラダ記念日』が300万部売れるなら、『シンジケート』は3億冊売れたっていいくらいだ」と評しましたが、その後も次々と良作を発表しつづけています。 さて、本業である短歌作品の評判に対する評価ももちろん高いのですが、エッセイの書き手としても人気を誇っています。むしろ、エッセイの面白さから、穂村弘という人物自身に対する興味を抱き、短歌作品にも手を伸ばす、という人が多いのではないかと思います。 以前このブログでも『本当はちがうんだ日記』などを紹介したかと思いますが、『現実入門』というエッセイもたまらなく面白いエッセイ集です。「ほんとにみんなこんなことを?」というサブタイトルが付けられていますが、世間一般の人たちが普通に行っていることに穂村弘がチャレンジしてその様子を文章にしているのですが、、、ん?なぜ”チャレンジ”なのか?と疑問を抱いたと思います。みんなが普通のやっている事をやっているだけで、それが何故”チャレンジ”なのか、と。これを違和感なく読むには少し事前知識が必要で、穂村弘というのは普通じゃないわけです。とても神経過敏で、普通のことを普通にこなせない人間なわけです。そんな彼が「献血」、「モデルルーム見学」、「占い」などにチャレンジするんですから、これは面白くないわけない。もちろん、その状況だけではなく、彼の独特の視点や、抜群の言語センスがたまらないです。 そして、エッセイにもかかわらず衝撃のラスト! ゼッタイに買いです。本気でオススメできる本です☆
【よもやま話】映画のリメイクについて
日本映画をハリウッドがリメイクする、という現象が起き始めたのは、黒澤明監督の『七人の侍』や『用心棒』を『荒野の七人』や『荒野の用心棒』としてリメイクしたのが始まりだと記憶していますが、近年になってその頻度が増えてきましたね。『リング』をハリウッドがリメイクした辺りから加速度的に邦画をハリウッド映画化するという企画が増加している気がします。 この「リメイク」というシステム。僕は大ッ嫌いですね。なんでリメイクなんてことがあり得るのか、ちょっと意味が分からない。その映画作品が面白かったらそれで良いじゃないかと思うんですよね。敢えて自分の国の言葉を使って、自分の国の俳優を使って作り直す意味なり意義なりを見出すことができない。元になっている作品の権利者も、リメイクを許すということはその作品の普遍性を否定することになりますから、なんで進んでそんなものを許すのか理解できません。 ある作品を観て、「これは面白い!これを自分でちょっと手を入れたら自分たちの国でウケるに違いない!」という思いつきからリメイクという発想が出てくるんでしょうけど、それは制作者側の怠慢に過ぎない気がします。なぜって、その作品にインスピレーションを受けたなら、そのインスピレーションを糧にして新たな物語を一から作ればいいだけですから。他から借りてくる必要なんて全然ないんですよ。 それに、リメイクしたところで、やっぱり面白くなかったりしますからね。 『Shall We Dance?』もリチャード・ギア主演でリメイクされましたけど、あんな恰好良い紳士にあの役をこなせる訳がないんですよ。あれはイエローモンキーの中年野郎、役所広司でなくては様にならないんです。リチャード・ギアではダンスが様になりすぎてしまうんです。 過去の名作を現代の技術で改めて取り直すという試みに関しては大いに賛成ですけどね、同時代の別の国の作品を自国風に塗り替えるという意味でのリメイクには僕は大反対です。
『ショーシャンクの空に』
世に発表された全ての映画作品を鑑賞したことがあるわけではありませんが、僕の数少ない鑑賞体験の中で、最も素晴らしいと言える作品は『キャスト・アウェイ』です。この作品からは映画の力というのを強く感じることができます。そして、『キャスト・アウェイ』と引けを取らないくらい素晴らしいのが『ショーシャンクの空に』ですね!この作品は、多くの人に愛されている作品ですから今さら僕が何を言うでもないのですが、やはり特別大好きな作品なので、今回ここに紹介させていただきたいと思います。 この『ショーシャンクの空に』の何が素晴らしいかって、プロットがとんでもなく精緻なところがまず第一ですね!「プロットの精緻さ」というのはどういうことかというと、あらゆるシーンに意味があるんですね。というか、どのシーンにも2つ以上の意味があるんですよ!それは伏線だとかそういう意味ではなくて、たとえば冒頭のデブの囚人が投獄初夜(って何だか物凄い言葉ですね、、、結婚初夜の対極だ)に泣き出して看守に殴り殺されるというシーン。このシーンは、この刑務所のイカレた因習を紹介する役割もあれば、看守の残忍さを指し示す意味を持ってもいれば、言葉一つ発さなかった主人公と情けなく泣き叫ぶデブを対置させることで主人公のクールさ、男らしさを表現してもいる。このシーンだけではなくて、他のどのシーンもこのように多くの意味を含んでいて、脚本も手がけている監督のフランク・ダラボンの才能に舌を巻くのです。 そして、さらにこの作品の素晴らしいところは、「何の物語なのか、最後まで分からなくしている点」ですね。最後のほんの手前まで、この作品は「主人公が刑務所の中で人間関係を築き、自分のポジションを確立していく話」に過ぎません。主人公は周囲の人間たちを騙して事を決行しますが、観客をも欺いているわけですね。その欺き方も巧みですよ。 俳優陣の演技もたまらないですよね!特にモーガン・フリーマン!!いやぁ、何度観ても良いですよ。そうなんです。この作品は、何度観ても良いと感じるんです。僕も既に10回近く観てますよ。一番好きな『キャスト・アウェイ』は複数回の鑑賞に堪えれる種類の作品ではないので、おそらく僕が一番回数を観ている映画は『ショーシャンクの空に』だと思いますね。 ああ、こんな文章を書いていたらまた観たくなってきたので、ゴールデンウィークに観ようかしら!
『モンスターズインク』
アニメーション映画は子どものためのものという見方が一般的かもしれませんが、あらゆるお菓子が子どもだけのものでないように、良質のエンターテインメントとして大人も楽しめるアニメーション映画というものが存在します。たとえばディズニー映画の『モンスターズ・インク』。この作品を僕が初めて観たとき僕は高校生で、その当時付き合っていた女の子と一緒に観ていたのですが、僕が先に号泣してしまって彼女の方はそんな僕の様子を見て作品になかなか入り込めなかったらしいです。まぁそんなことはどうでもいいんですが、とにかく、「アニメ映画なんかで泣くだなんて、そんな女々しいことしてられっか!」という男子高校生であった僕を、こともあろうか交際相手の前で号泣させたわけですから、それだけ素晴らしいわけです。そして、それから十年近く経った最近もまた改めて『モンスターズ・インク』を観たのですが、当時と同じようにまた泣いてしまいました。本当に素晴らしい。 始まって十分もしないうちにこの作品が面白いかどうかが分かってしまいます。この作品内世界の設定はこうです。モンスターズ・インクというモンスター界も株式会社に所属しているモンスターであるサリーとマイク。その会社とは、子ども達の元にモンスターを送り込み、彼らを怖がらせてその悲鳴をエネルギーに変換してモンスター界に供給することを業務としている。そして、モンスターは子どもを怖がらせようと試みながら、同時に子どものことを怖がってもいる。そんな中、一人の女の子がモンスター界に迷いこんでしまう。その女の子を人間界に戻そうとサリーとマイクは奮闘するが、、、。 この設定があって、それが面白くならないわけないですよね!もちろん、ちょっと先は読めますよ。その女の子とモンスター達に友情が芽生えて、別れがたくなり、、、という展開になることくらい分かり切っています。でも、それでも泣けるんですね。とても良いお話ですよ、子どもに夢を与えます。子どもだけでなく、高校生の僕ですら「もしかしたらサリーが今夜僕の枕元に現れるかもしれない」と思ったくらいです。 ディズニー×ピクサーの映画の中ではこの作品が最高傑作だと僕は思っています。ぜひ鑑賞してみてくださいね☆
メルヴィル『白鯨』
小説って何でもアリなんだなぁと初めて思わされた作品というのが、英語で書かれた小説のベスト3に入るとの呼び声の高い『白鯨』です。この作品は、かつて白鯨モビー・ディックに足を引きちぎられて義足になったエイハブ船長が、彼に賛同した部下の乗組員たちとモビー・ディック狩りにその全てを費やす、というのが大まかな筋なのですが、その大筋とは全く関係ないような鯨に関する学術的な記述であったり、鯨以外のことに関しても多くの科学的見解がちりばめられていたり、しまいには捕鯨船の上でミュージカルのようなものが唐突に始まったり、本当に「しっちゃかめっちゃか」なんです。そして、この「なんでもアリ」感がたまらなく面白いんですね!外面的には真面目な小説なのですが、そういう仕掛けが刺激的で読んでいて次の展開、というか次の仕掛けが楽しみで仕方なくなる。小説がストーリーを追うだけのものではないことを、この小説ほど実感させてくれる作品は他にありません。 もちろん、ストーリーもしっかり面白いですし、大自然の描写や捕鯨の生き生きとした逞しい表現も、類をみないほどの筆致で読者を惹き付けてくれます。 最後に、『白鯨』にまつわるトリビアを一つ紹介します。日本でも大人気のカフェ「スターバックス」の店名は、エイハブ船長の手下のスターバック航海士から命名されたそうです。でも、なぜにスターバックを選んだんでしょうねぇ?
エミリ・ブロンテ『嵐が丘』
長い文学の歴史の中で、「こいつほど物凄いヤツはいない!」と言える登場人物がいますね。たとえば、頭脳明晰であるという意味で「ものすごい!」のはシャーロック・ホームズだとか、性的に乱れたという意味で物凄い人物といえばマルキ・ド・サドの代表作『悪徳の栄え』に登場する、淫乱の限りを尽くす主人公ジュリエットだとか。 そんな中、「復讐に燃える激烈さ」という意味で物凄いのが、エミリ・ブロンテが生涯唯一残した長編小説の中の登場人物ヒースクリフです。彼の放埒振りと言ったら常識を超えていて、ヒースクリフがどんな行動を取るのかは実際に本書を読んで知ってほしいので敢えて書きませんが、復讐心が人にここまでのエネルギーを与えるものかと驚きとともに少し感心してしまうくらいです。あるいは、復讐心は人に与えられたあらゆる感情の中で最も強い力を生み出すものなのかもしれません。 さて、『嵐が丘』は、発表された19世紀半ばの世界ではあまり高い評価を与えられていませんでしたが、20世紀に入ると「読むべき世界文学」としてその価値を大いに認められるに至りました。『月と六ペンス』で有名なサマセット・モームも、本作を世界の十大小説の一つに挙げていますし、日本でも柄谷行人らが選出した『必読書150』の「海外文学50」の中に選ばれています(僕はこのリストに挙げられていたから読みました)。 原書のタイトルは「Wuthering Hights」というのですが、これを「嵐が丘」と訳した人は物凄いセンスがあると思いませんか? 僕の中では、ベスト3に入るほどナイスな邦訳です!
茂木健一郎『クオリア入門』
茂木健一郎の名前を脳科学の世界のみにとどまらず、世間一般の人たちにも知らしめることになった言わば「出世作」です。 どうして物質としての脳に、赤い花を見た時に鮮明に感じる「赤」という感覚「クオリア」が生じるのか。本書は、その大きな問題(ハードプロブレム)に対して本質的な解答を与えるものではありませんが、そこへ至るアプローチの一つとして脳に関する様々な事象を紹介し、茂木健一郎の独自の視点をそこに与えています。 本書が発表されたのは2001年ですから、それから10年経った現在では脳の問題もより解明されているのかもしれませんが、脳に対する基本的な姿勢というのは本書から得られるものとさほど違いはないのだと思います。そういう意味で、科学関連書であるにも関わらず、10年経っても本書は現在的な価値があると言えるでしょう。 特に本書を読んでいて刺激的だと感じた脳のはたらきは、「両眼視野闘争」と「ブラインドサイト」です。「両眼視野闘争」の方は実際に自分でも実験して実感してみたいですね。 詳しくはぜひ本書で確認してみてください!
【よもやま話】旅行には3種類の本を持っていけ
旅行に行くときにどんな本を持っていくか、こういうちょっとしたことで結構悩んだりしますよね。旅行に行くと一口に言っても、ただ移動中だけ読むのか、あるいは滞在先でのんびりと読書を楽しむ時間があるのか、そういった条件によって持っていく本のレパートリーは変わってくると思います。もちろん、海外旅行なのか国内旅行なのかによっても大きな違いが生まれるでしょう。国内旅行だったら最悪旅先でも買い求めることができますからね。 僕が旅行に行く際には基本的には移動中だけしか本を読まないので、それを考えて「海外旅行にどんな本を持っていくのが良いのか」について考えてみたいと思います。 まず、これだけは譲れないのですが、最低でも3種類の本を携えて旅行に出たいですね。海外旅行となれば飛行機を利用することになりますが、機内や搭乗前の時間を読書にあてれば結構な時間になりますから、3冊というのは決して多い量ではないはずです。さて、3冊ではなくて3種類と書きましたが、その時の気分によって適した本は変わってくると思うので、それに対応させるために、例えば「小説、エッセイ、学術系」といった風に、いくつかの種類の本を用意しておくことをオススメします。以前僕は小説の文庫本だけをポケットに入れて旅行していたことがあったのですが、「今の気分、ぜんぜん小説じゃない!」という時ってあるんですよね。でも、飛行機のあんな狭いシートと小さな画面で映画なんて観たくないですし、機内で提供される雑誌もふざけてるのかと思えるほどくだらない代物ですし、新聞だって1時間くらいしか時間を潰せません。DSやらPSPだなんて、そんな軟弱な遊びに興じるつもりもありませんし、そうなるとやはり読書をして時間を過ごしたいものですから、そんなときに備えてエッセイなり、学術系の新書なりを用意しておくべきですね。 3冊も持っていったら荷物になるじゃないか!と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、日本語の本を持って海外に出ると意外に役に立つこともあるんですよ!日本語というのは外国人から見たら神秘的に捉えられますから、何かあったらプレゼントしてしまえばいいし、また旅行先の国に住んでいる日本人は日本語で書かれた本に飢えているでしょうから、そういった人たちにあげて帰ってもいいですしね。 というわけで、「旅行には3種類の本を持っていけ」をぜひ実践してみてくださいね☆